関 美比古 | せきよしひこ


 

関美比古 略歴
1970  東京都狛江市生まれ
1978-82 ソ連邦モスクワ市に暮らす
1993  早稲田大学第一文学部演劇専修卒業
1994-95 毎日新聞社出版写真部勤務
1996  新宿三丁目に「ガレリアQ」開廊
以降同所を中心に活動
2001.3 撮影旅行中のバス事故で死去。享年30。

早稲田大学在学中より写真家の尾仲浩二氏と親交を深め、氏が当時運営していた
「ギャラリー街道」で最初の個展を開き、本格的に写真に取り組みはじめる。
コンスタントに作品を発表する傍ら、94年から毎日新聞社出版写真部の契約カメ
ラマンとして働く。95年の阪神・淡路大震災では、毎日新聞社のスタッフとして
現地を取材、以後復興によって変化する街並を6年にわたり定点撮影していた。
96年に新宿三丁目に「ガレリアQ」を開廊。以後同所を中心として写真を発表。9
8年から「caranation」と銘打ったシリーズをスタートする。日本各地、幼少期を
過ごしたロシア、東欧を撮影、発表を続ける(日本カメラ'99年5月号に同シリー
ズの一部掲載)。今回も、同シリーズのための撮影旅行として、3月14日に日本を
出発し、ラトビア、リトアニアを回った。帰国便に乗るための最後の旅程として
夜行バスでリトアニアからドイツへ向かう途中の3/29日未明、乗っていたバスが
ポーランド北東部ウォムジャ近郊でトラックと正面衝突し、意識不明の重体となり、
病院に運ばれるが、日本時間の3月30日早朝、現地の病院で息を引き取った。
30歳だった。


写真展
1991.10 「ROUTE」 (ギャラリー街道/東京・新宿)
1992.02 「ROUTE 2」(ギャラリー街道/東京・新宿)
1992.05 「ROUTE 3」(ギャラリー街道/東京・新宿)
1992.07 「interude」(早稲田大学大隈講堂/中島太郎との二人展)
1992.10 「暑い日」(八月社ART/東京・新宿/筒口直弘との二人展)
1993.05 「REAL」(03 FOTOS/東京・笹塚)
1993.10 「happy?」(03 FOTOS/東京・笹塚)
1994.06 「WISH」(03 FOTOS/東京・笹塚/詩・片山健との二人展)
1996.03 「U」(ガレリアQ/東京・新宿)
1996.07 「LLBY」(ガレリアQ/東京・新宿)
1997.04 「LLBY 97」(ガレリアQ/東京・新宿)
1997.07 「nowhere」(ガレリアQ/東京・新宿)
1998.08 「carnation」(ガレリアQ/東京・新宿)
1998.09 「carnation」(ガレリアQ/東京・新宿)
1998.11 「carnation」(ガレリアQ/東京・新宿)
1998.12 「carnation」(ガレリアQ/東京・新宿)
1999.01 「熱帯」(ガレリアQ/東京・新宿)
1999.09 「東風」
     (ギャラリー051/ 韓国・釜山/尾仲浩二、楢橋朝子等とのグループ展)
1999.04 「carnation5」(ガレリアQ/東京・新宿)
1999.06 「carnation6」(ガレリアQ/東京・新宿)
1999.12 「carnation7」(ガレリアQ/東京・新宿)
2000.10 「carnation」(ガレリアQ/東京・新宿)

関 美比古写真集「carnation」刊行。
批評家の鈴城雅文氏から関 美比古のことを綴った
-「密度ある空気」のために-を寄稿戴きました
関 美比古写真展"carnation9 in 原子心母の会場風景へ
ポーランドのバス事故に関する報道へ---
 



2002.09.09 - 09.15 .
2000年8月の未現像のフィルム
関 美比古 Seki Yoshihiko
..............................
2001年3月の事故の前年に、彼はロシア、バルト諸国への
撮影行を繰り返し、日本へ戻ると写真展を開いていた。
慌ただしい、日々のやりくりの中で、いずれ....と思い、部屋
に残してあった40本あまりの未現像のブローニーフィルム。
その中に写し撮られ、残された写真の中から20点余をプリント
させてもらうことにした。
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2002.04.01 mon-04.07 sun.
works 1991-2001
関 美比古 seki yoshihiko

関 美比古が逝って一年が経とうとしています。多くの方の協力
により一冊の写真集ができました。刊行を機に二つのギャラリー
で写真展を開きます。ガレリアQでは彼の初期の写真を中心に、
プレイスMでは彼が最後の旅まで続けていた「carnation」の
シリーズからのプリントを展示します。
写真集と合わせて御覧いただければと思います。
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2001.5.18.fri. -27. sun.
carnation

関 美比古/
Seki Yoshihiko

carnationに向かう。
関美比古の写真を説明するというもどかしさは彼が既にいないという、不自然な体の痒みに似る。
これらの写真が、そして周知の事実が、彼が抱え込んでいた痒みまでも飛火させる。遠い北の土地で、偶然、たちどころに
起こったバスの中での一撃は、何かを消去してしまったのだろうか。
carnationはどう終わろうとしていたのだろうか。彼の最後のネガが、今、ここにあり、彼の向かった”北へ”の断片を目に
することが出来るにもかかわらず。
関は自分の選択した写真を言葉にしなかった。土地の際の破線としての貨物船、水際にとけこんでいく土、土をコーティング
するアスファルト、ホースがぬらしたコンクリート、囲いの中の生物、囲われた彼自身を隔てる窓、マクドナルド。ポーラン
ド国境近くに携えていた撮影ノートの背表紙裏にある ”北へ向かう。”とはじめられたメモ書きすら、彼が最期に所有した
写真へ向かう行為を言うに過ぎない。かつて病院であったその建物は彼が構えるカメラの前で蒸気の熱エネルギーを大量に消
費する何らかの工場として、そこにあり、そして消えていくが、写真は、かつて軍港として機能したであろう大きな石塊が遠
くにあって、水際に沿って自然に彼の立つ地面にまで白と黒の濃淡が到達しているという印画に過ぎない。ノートには食事の
ことと水の値段が多く記されている。それは土地に対峙する彼の身ぶりではあるが、カメラに残された映像はその光の濃淡に
過ぎない。carnationの濃淡。

佐原宏臣/記
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1998年からはじめられたcarnationのシリーズは、2001年3月28日の事故によって中断された。ラトビアから始まった最後
の旅は帰国便に乗る為のドイツへの途上、ポーランド北東部の路上で突然終ってしまった。撮影済みの50本の35mmフィルム
は彼の写真を見続けていた者たちの手で現像され、20枚余りのプリントが選ばれた。

伊藤愼一/記
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2000.10.28. - 11.06.
carnation

関美比古
Seki Yoshihiko

ロシア、エストニア、フィンランド、そして北岬まで。太陽の沈まない季節。
モノクロ21点


 

1999.12.09-15
「carnation 7」

 関 美比古
 


 

1999.06.26-07.03
「carnation 6」

 関 美比古
 


 

1999.04.11-04.20
「carnation 5」

 関 美比古
 


 

1999.01.28-02.03
「熱帯」

 関 美比古
 


 

1998.12.25-31
「carnation IV」
1998.11.25-30
「carnation III」
 
 関 美比古
 


 

1998.09.20-26
「carnation II」
1998.08.20-26
「carnation I」
 
 関 美比古
 


 

1997.07.18-25
「nowhere」

 関 美比古
 


 

1997.04.08-13
「ララバイ97」

 関 美比古
 




1996.07.12-19
「ララバイ」

 関 美比古
 


 

1996.03.15-21
「U」

 関 美比古
 

 


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